記録映像「被災と避難生活」

避難生活のイメージ

避難生活のイメージ

もくじ


避難所への再訪問とインタビュー映像など

まず「記録映像」冒頭のパートでは、
「あの日、羽生結弦は宮城県内のスケートリンクで震災に遭った。たどり着いたのは小学校。家族と共に避難生活が始まった。そのときの写真。絶え間なく繰り返す余震と厳しい寒さの中で、およそ450人が震えていたという。スケートリンクも閉鎖され、羽生は練習拠点も失ってしまった」というナレーションと、

その間に入る羽生選手の「ここへ寝て、ずっとこの天井見ながら、『日本どうなるんだろうな』とか。ここ撮ったんですよ寝ながら。『このまんま(選手活動を)止めちゃうのかな』っていう感じはちょっとありましたね」というコメントをバックにして、

「音を立てて揺れるシャンデリアの映像」、「垂れ下がった非常灯の映像」、「大型書店内での書籍の散乱状況を店外から撮った映像」、「羽生選手が家族と共に避難生活を始めた小学校の体育館への再訪問とそこでのインタビュー映像」、「修繕工事が始まっている段階でのアイスリンク仙台の入り口付近でコンクリート柱の鉄筋がむき出しになっている映像」などが続きました。

『被災には復旧作業が伴なう』と証明するような映像も」へ

「被災には復旧作業が伴なう」と証明するような映像も

ですが、この片側2車線の県道を挟んでアイスリンク仙台の真向かいにある八文字屋書店泉店という大型書店前の「両側車線とも自動車でいっぱい」という映像は、
(道路舗装車を載せた自動車も写っていますし)大震災直後のガソリン不足がはなはだしかった時期のものではなく、
修繕工事が始まっているアイスリンク仙台の入り口付近での映像と同じときに撮られたもので、「大型書店内の散乱物の整理が『3.11』から何か月か経過したその時点でも手つかずだったという記録になっている」と私は考えました。