身をもって知った自主防災の大切さ

「所作・言動への配慮」への不安

聴衆の中には悲しみを胸に秘めた方々も

また、幾分の怖さを感じつつ入場した第二の理由は、(亡くなられた方々だけでなくご遺族の方々のためのレクイエム演奏会でもあるのですから)、聴衆の中にはご自身の悲しみを胸に秘めた方々も含まれていると推測されるのですが、
外見からお心の内を推し量ることはできませんので、
ロビーとコンサートホール内での私の所作・言動への配慮がどの程度のものであればそういった方々のお心を傷つけずに済むか分からないからでした。

外見からは識別できないご遺族の方」へ

外見からは識別できないご遺族の方

たとえば、(報道の自主規制がなされていて「津波被災地域で遭難された方々のご遺体写真」を目にする機会が私自身にはありませんでしたけれども)
あるとき宮城県警の刑事・捜査分野の警部補さんとお話していたところ「2週間、ご遺体捜索の応援に行きました。日が暮れて宿舎に戻った後、ビールの一杯も飲む気にならないほど身も心も疲れ切ってしまった、これまで経験したことのない異次元の現場でした。」という趣旨の発言があって、
「捜索現場で警察・消防・自衛隊の方々がそのような思いをされたぐらいの『津波禍から脱出しきれずに苦しみや恐怖の表情を残して他界された方々のご遺体』と再会され身元確認をし、(場合によっては土葬での仮埋葬を経た上で)埋葬し、供養して来られたご遺族のお心の傷はいかばかりか」と思い続けてきておりましたが、
そのようなご遺族の方を外見から識別することは不可能なことです。

外見からは識別できない疎開先避難者の方」へ

外見からは識別できない疎開先避難者の方

また、あるとき、全国展開しているイタリア料理のカジュアルレストランでデザート付のランチメニューをとられているご夫妻がいらして、第一印象は「勤務先近くでの昼食組よりは豊かな方々」だったのですけれども、
お手許を見るとデザート用の小さなナイフとフォークをこれまで使われる機会が無かったような感じなので、「津波被災地域で和食と和菓子での生活をされてこられた方が、家財を失われ、いや応なしに異文化の中に身を投じさせられたのだ」と思わされました。

が、私が入店する前にオーダーしてあった紙ケース入りのピザ2箱を受け取られて店を出られるお姿を見てしまうと、(お子さん宅なのかお孫さん宅なのかは分かりませんが)疎開先でのご心労も想像され、
以来、「『避難者総数』でくくられる方々お一人お一人の悲しみと苦しみは自分の想像を超えるものなのだろう」と考えるようになっていましたが、
そのような境遇の方を外見から識別することも不可能なことです。

外見からは識別できない疎開先避難児童・生徒の方」へ

外見からは識別できない疎開先避難児童・生徒の方

あるいは、あるとき、この演奏会場の真向かいにあるスーパー内で、(店内での買い物客同士の距離間隔の取り方がつかめていなかったからだと思うのですが)、服装と対話の内容から明らかに「津波被災地域から仙台市内のご親戚のところへ身を寄せられたお母さんと小学校低学年と思われる女の子」とにぶつかられそうになったことがあって、
(昔、今も第一線でご活躍中の著名な学者の方から「東京大空襲に備えての学童疎開で長野県に行ったときに、『土地の言葉を話せない』という理由で小学校内でいじめに遭って、あんな辛いことはなかった」というお話をお聞きしたことが思い出され)、
「家や持ち物を失っただけでなく転校で友達からも切り離され大変なご苦労の中にいる津波被災地域の子供さんたちもいる」とそのとき気付かされましたが、
そのような境遇の子供さんたちを外見から識別することも不可能なことです。