身をもって知った自主防災の大切さ

「演奏内容」と「思い浮かべた事」

もくじ

演奏内容

ということで、幾分の怖さを感じながら演奏会場内に身を置いてみたのですが、
演奏が始まってみると、その構成は、

(1)第1部の前半は総勢160名の方々による「プロジェクトリーダーの先生が作・編曲された日本語曲」をピアノ伴奏だけで歌い上げる混声合唱、

(2)第1部の後半は福島県在住のツイッター詩人・和合亮一さんによる「自作詩の朗読」と「その詩をプロジェクトリーダーの先生が組曲にされたもの」を仙台地区の90名の方々が歌い上げる混声合唱、

(3)第2部は総勢160名の混声合唱団にソリストとオーケストラの方々約40名が加わっての「プロジェクトリーダーの先生が作詞・作曲しラテン語に翻訳してもらったレクイエムなど」の演奏、

の3つに大きく分けられるものでした。

思い浮かべた事」へ

思い浮かべた事

ですので、

(1)のときには、第2部でオーケストラの方々が入られる空間上に
親類縁者の中で「遭難された方々」と「『こういった関係者のところに疎開しました』と書き添えられた年賀状が届いた後にご遺族から『他界いたしました』というお知らせをいただいた方々」との思い出の場面が、
(現実にはないスクリーン上にパワーポイントに張り付けたスライドが次々と現れては消えるイメージで)、
思い出されました。

また、(2)のときには、以前、視察・見学時にお世話してくださった係長さんが「放射能汚染の除去が進んで村役場が元の場所に戻ってきました」というNHKニュースに副村長さんとして登場されても支援・応援のお手紙一本お送りできないレベルの被災者に自分自身がなってしまいましたので、
申し訳なさを感じると同時に「福島県についての報道」に対してもっと関心を持たなければと思わされました。

さらに、(3)のときには、仏教界の施餓鬼法要でご住職が多くの末寺のご住職とご一緒に祈りと弔いを行なわれるのとほとんど同じイメージでしたので、
「3.11」以前のご逝去であれば当然参列していた方々の告別式場内に身を置いている感覚で故人を偲ばせていただきました。