身をもって知った自主防災の大切さ

防災管理課トップのキャリアパス

もくじ

  • 防災管理課と防災対策課
    • 「防災対策啓蒙書の作成と配布」は業務の一端
    • 深刻な事態が垣間見える「首都直下地震等対処要領」
  • 課トップには即戦力の人材を配置
    • 船川課長の人事異動歴
    • 体験と人脈形成についての推理
    • 「大地震の切迫性」について都庁と都民に大きなギャップが

防災管理課と防災対策課

「防災対策啓蒙書の作成と配布」は業務の一端

ですが、「『具体的な方法の紹介』があるので東京都民の方々の防災力を高める一助に間違いなくなるとしても、『劇的な防災意識の向上』までは作成に当たった部門の人々の達成目標になっていないのだろうな」と推察できたところから、「東京都防災ホームページ」を改めて訪ねてみると、
「防災ブック」の作成元であり「東京都防災ホームページ」の管理部門でもある東京都防災管理課の主な業務は「『防災思想の普及』『震災復興の企画』『災害予防対策の総合計画』『地域防災計画』といった『防災に係る調査』」でした。

なので、「防災対策啓蒙書の作成と配布」はまさに広く厚みのある業務の一端にすぎなくて、「この防災ブックに目を通して防災意識が向上した方々については、たとえば『東京都防災ホームページ』内の『地震の被害想定』のページを閲覧するなどして、自己責任で『生き延びる努力』をし、被災後に起きる大混乱の中でご自身の被るダメージを最少にしていただけると良いな」と考えて作成したのだろう、と思えるようになりました。

実際、いろいろな防災書籍の中には「多くの方にとって『防災』は上位に来る関心事項だけれども、いつ起きるか分からないことだから『防災』は行動に移す事項としてはかなり下位」と書いてあるぐらいですから、
防災管理課のメンバーが「(自助の防災対策に取り組んできた人々の中に『やっておいて良かった』と思って下さる方々が一人でも多く生まれてくれれば良いのであって)、防災対策啓蒙書の作成と配布で都民の背中を押してあげるところまでが自分たちの現実的な役割分担」と考えていても当然、とも感じました。

深刻な事態が垣間見える「首都直下地震等対処要領」

また、同じ総務局総合防災部内にある防災対策課がまとめた「首都直下地震等対処要領 」には、
「(緊急対策)本部態勢」については30分~48時間きざみで3日後まで、
「救出・救助、消火」については1時間~24時間きざみで3日後まで、
「道路調整」「医療救護」「支援物資対策」「避難者対策」「帰宅困難者対策」「ライフラインの復旧等」については6時間~12時間きざみで3日後まで、
「ご遺体の取扱い」については6時間~数日きざみで1週間後まで、
「生活再建」については12時間~数日きざみで1ヶ月後まで、
の「(都庁外の組織などとの膨大な調整作業をともなう)東京都としての想定タイムテーブル」が載せられています。

が、この「対処要領」を全文読み終えた結果、「首都直下地震が発生したときに(社会インフラが突然大きく損傷した中で)行政がやれることには限界があり過ぎて、先に引用した船川勝義課長のインタビューが『自分ができる身近なことから防災対策を始めていただきたい』という趣旨の発言で終わっていたのも当然」とつくづく思わされました。

課トップには即戦力の人材を配置」へ

課トップには即戦力の人材を配置

船川課長の人事異動歴

なお、そうは感じたものの「都庁エリート職員のお一人がキャリアパスの過程でたまたまこの課長ポストにいらしてあのインタビュー発言」という可能性は排除しておく必要がりますので、東京都庁サイト内の(課長級以上について東日本大震災発生直後の2011年春の定期異動から春と夏の定期異動のみが公開されている)幹部人事異動のページを訪れてみたところ、

(1)船川勝義さんのお名前が最初に出てきたのは2011年夏の異動で「(『3.11』から丸2週間目の3月25日に福島県自治会館内に設置された東京都被災地支援福島県事務所で被災地・福島の復興に協力するため福島県庁との調整にあたってきた)船川課長ほか2名の被災地調整担当課長の所属部門が総務局の総務部から(7月29日付で新設された)総務局の復興支援対策部に変わった」という記事、

(2)次に出てきたのは、その後の(被災地・福島などから都内に疎開して来られた数多くの避難者の方々を避難所・仮設住宅の提供とそこでのお世話や避難者に対しての誤解に基づく中傷の抑制などで支援した)総務局の復興支援対策部都内避難者支援担当課長就任を経て、2012年春の異動で「スポーツ振興局の(2013年秋に開催予定の東京での国民体育大会と全国障害者スポーツ大会を担当する)スポーツ祭東京推進部式典担当課長に新任」という記事、

(3)その次に出てきたのは、2013年春の異動で「スポーツ振興局のスポーツ祭東京推進部式典担当課長からスポーツ振興局のスポーツ祭東京推進部企画課長に新任」という記事、

(4)さらにその次に出てきたのは、その後の(2013年12月20日付でスポーツ振興局から名称変更となった)オリンピック・パラリンピック準備局のスポーツ推進部スポーツ祭東京調整課長就任を経て、2014年春の異動で「青少年・治安対策本部の総合対策部特命担当課長に新任」という記事、

(4)さらに直近のものとして出てきたのは、その後の青少年・治安対策本部の総合対策部交通安全課長就任を経て、2015年春の異動で「総務局の総合防災部防災管理課長に新任」という記事、

でした。

体験と人脈形成についての推理

そこで、これらの記事に基づいて東日本大震災発生以降に船川課長が体験されたことと人間関係を形成できた人々とについて推理してみると、

(1)「東京都支援活動報告書(2012年3月発行)」の「第1章:現地事務所の開設・運営」の31~40ページには当時の被災地支援福島県事務所長・早川剛生さんの体験報告が載せられていますが、
「東京の経済と都民生活を電力供給で支えてくれていた福島県への恩返し」のために都庁職員を代表して送り込まれて、(都庁舎内勤務者には理解してもらえないほど劣悪な職場環境の中での職務遂行だったけれども)、
「巨大災害で被災した現場市町村の産業・経済・社会はそれ以前とどう変わるか」、「知事をトップとする緊急対策本部はどのように運営されるか」、「家屋の損壊や放射能汚染でいや応なしに避難生活者化した方々の経済面と健康面などでの悩みや苦しみはどのようなものか」など、
マスコミによる被災地報道というフィルターを通したら入手できるはずもなかった「首都直下地震の発生に備えていろいろな施策を行なっていく上で参照できる事がら」を数多く見聞きできた、

(2)2013年秋に東京で開催された国民体育大会と全国障害者スポーツ大会である「スポーツ祭東京」の推進部式典担当課長と企画課長を経験することで、(要人警護をめぐって警視庁の警備部・公安部スタッフとの人脈形成もできたのかも知れませんが)、災害時要援護者対策の対象となる方々についての認識を深めることができた、

(3)交通安全課長を経験することで、「飲酒運転の根絶」「違法駐車対策の推進」「駅前放置自転車の撤去」などの交通安全対策をめぐって警視庁の交通部・生活安全部スタッフや地域社会で共助活動に取り組んでいる様々な団体のリーダーとの人脈形成もできたでしょうし、
交通安全課は「(震災時などに通行止め・渋滞といった道路交通に関する情報と自治体が保有する火災情報を一元的に提供する)災害時情報提供サービス」の管理部門ですので、首都直下地震発生時に起き得る交通障害と破壊された道路の再開通作業についても「もし首都直下地震が数分後に起きたら」という緊張感の中で考えることができた、

といったことが思い浮かびました。

「大地震の切迫性」について都庁と都民に大きなギャップが

もちろん、それ以前の職務履歴もあるわけですけれども、この4年間のキャリアパスを見ただけでも「首都直下地震などが発生したときに東京都民と周辺県などから都内に来ている人々の生命と被災後の生活をできる限り守るための重要ポストを任せられる人材」の養成は不断に繰り返されてきていて、万一、船川課長が体調を崩されたときには玉突き人事異動ですぐ着任できる人材も都庁内では用意されているように思いました。

他の道府県でのことは分かりませんが、「(船川課長のキャリアパスからもうかがえるように)東京都庁は首都直下地震の発生とその後に取り組むべきことについて強く心配してその日に備えているけれども、都民の皆さんはそれほど自助防災に取り組む熱意が高くない」という構図が存在する陰には「(マスコミの報道姿勢も含めて)大地震の切迫性についての説明不足」があるように思えて仕方ありませんので、以下で「大地震の切迫性」についての諸資料の紹介を試みます。