身をもって知った自主防災の大切さ

思い知らされた防災対策の不十分さ

被災状況ページ群の構成

「2度も『震度6弱地震』で被災し『り災証明=半壊、家財保険=半損、住宅保険=一部損の判定』を受けた一仙台市民が『自らが体験した事実や直接見聞きした一次情報だけ』でまとめた被災状況」について記した本ページ群は、
このページ内をスクロールした先に置かれた「良くて「忍従の日々』」「数多くの『もっと大変な思いをした人たち』」と、その下に置かれたナビゲーションボタンなどから各々のページにジャンプできる「被災の瞬間(全3ページ)」「物品の散乱(全3ページ)」「壊れた品々」「ライフラインの崩壊(全8ページ)」との、
16ページ構成になっています。

「『いつ、どのようなかたちで被災者になるか』が分からない中での自然災害への備えを自主的にどこまでやるべきか」については「正解はこれ」というものがないわけですけれども、
先行して巨大災害の被災地に身を置いた者の一人ですので「このページ群内に『気づきのヒント』を一つでも二つでも書き込むことができていると良いな」と強く思っています。

良くて「忍従の日々』」へ

良くて「忍従の日々」

住宅被害25万5千棟の仙台市(リンク先:仙台市「東日本大震災における本市の被害状況等『2-2.建物被害』 」)ですが、もちろん市民の中には「今回の大震災で職場も自宅も、ほとんど影響を受けませんでした。壊れませんでした」という方もいないわけではありません。

が、そのような方たちでも一時的に崩壊したライフラインが回復するまで忍従の日々をおくられたはずですし、「大津波で被災した地域」や「地盤の関係で激しく揺れた地域」や「山の斜面の窪地に土盛りをして平らな土地化された造成地」や「ビル・マンションの中層階以上」に職場や自宅があった人などの多くはもっと大変な思いをさせられました。

数多くの『もっと大変な思いをした人たち』」へ

数多くの「もっと大変な思いをした人たち」

震災当日、ランタンとガスコンロで夕食を取ったお宅も ランタンとガスコンロで夕食を取ったお宅の説明文 ソチオリンピック金メダリストの羽生結弦選手の自叙伝『青い炎』には
「(被災当日から3か月半閉鎖された) アイスリンク仙台で練習中に被災して生命に危険を感じるぐらいの怖さを感じたし、
自宅に戻ると(その後『 全壊認定(リンク先:内閣府「被害認定に関するQ&A 」)』を受けることになる自宅内では)建物部分で大きく壊れたのは風呂場だけだったけれども壁には亀裂が走っており、家財についてもピアノの転倒を含む物品の散乱が激しかったので、
そのうち停電で街中が暗くなってきたところから、避難所に指定されていた点灯している電球が1個しかない体育館へ行き、
畳2枚分のスペース内で母と姉との3人で夜は毛布1枚だけを掛けて眠る4日間の避難所生活を余儀なくされた」
という趣旨のことが書かれていました。

私の場合は羽生選手やさらに過酷な体験をなされた方々には及ばないものの、
「職場と自宅で、大量の物品が散乱し、その一部は壊れてしまい、しかもライフラインの崩壊によって日常生活が一時的にどこかへ行ったしまった」という、
このページの冒頭に記した方々との比較では(「物質的な面では中・軽度、心理的な面を加味すると限りなく重度に近づく被災者」というのが自己評価ですが)より厳しいレベルの被災体験を身をもってさせられることとなりました。

被災の瞬間」、「物品の散乱」、「壊れた品々」、「ライフラインの崩壊」 に分けて以下のページに記述します。

 

 

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